最近足の痺れがひどい。
座りっぱなしで背中を丸めて
鉛筆で描いては消して、描いては消してを繰り返す毎日なのだから、
職業病とも言えるのかもしれないが、
随分前に起こした交通事故による不具合もあると思う。
事故前後のことは記憶を失っており、
昏睡から意識を取り戻したときは、集中治療室の中だった。
そこから2ヶ月程、無数の繋がれた管によって生かされていた。
自分で寝返りも打てないのだから、必然的に考えてばかりになる。
肋骨が刺さって肺が破れて人工呼吸だった上、
顎の骨が折れていたこともあって食事は点滴のみだし、
尿は管で自動的だし、便は寝たままお尻の下に桶を入れられる。
まぁ点滴しかしてないからほとんど何も出ないのだが。
右半身が不随だったので読書もできないし、
とにかく「考える」ことしか何もすることがない。
「何のために生まれてきたのか?」
「何のために生きているのか? 」
誰もが若いときに一度はぶつかる壁だが、
わたしの場合、絶望的な状況の中でぶつかってしまった。
「いっそのこと死んでしまった方がよかったのではないか…」
最初の1週間ほどは全身の激痛に耐えながらそんなことを考えていた。
20歳のことだった。
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わたしの父は44歳で他界した。
肺癌がわかった時はすでに末期で、あっという間の終焉だった。
小学6年生だったわたしは、幸い死に目に立ち会えた。
命が尽きるその瞬間は今でも脳裏に焼き付いている。
当たり前にずっと続くと思っている日常が、
いつ、どんな理由で終わるかなんてわからない。
そのことは、父の死と瀕死の事故を経験して、
わたしの中核に根付いている。
「何のために生きているのか?」
今でも自信をもって答えることはできないが、
今生きていることに感謝し、
後悔のない今日を生きる。
これまで90戸ほど住宅を建てさせていただいた。
あと何戸の住宅を建てさせてもらえる機会に恵まれるかわからないが、
いつそれが最後になっても後悔のないようにベストを尽くす。
その連続が結果的にわたしの人生となる。
首や腰や脚に慢性的な不調を抱えているが、
自立した生活が送れているだけで感謝している。
不調は、ちょっと効き過ぎたスパイスと思って
うまく付き合っていくしかない。
親友のお父さんがまだまだお若くして亡くなられた。
誰もが知る大企業の社長を勤められた方で、
何度も一緒にお酒を飲みながら教えを請うた。
「不満を言う暇があったらDo the Best 」
晴天の中、お参りした墓前で、おじちゃんの声が聞こえた気がした。
ALL 篠田